JunchanのHealth attitude blogにご訪問ありがとうございます。医療スタッフのメンタルパートナー かたよし純子です♪ このブログでは、「健康の在り方」health attitudeを伝えていきます。身体の疾患はもちろん、心も大切だということ、心と身体のバランスです。健康でいるためには、身体も心も大切です。今週は、心の健康の在り方です。「社会的少数派」に対する多くの問題がメディアでも取り上げられ、私の思考は、マイノリティというワードに向いています。「常識」で簡単に片付けられ、傷ついている人が実際に少なくないのが実態です。自分らしく在ること、自分基準を考えて欲しいと思いまとめていきます。人は、より自分らしく個性的であって良い。
1. 自分は、自分で良いのだよ♪ その基準決定のポイント3つ
1-1 「あたりまえ」「ふつう」とは?そして「常識」とは?
1-2 ふつうの基準は「誰」が決めるの?
1-3 自分らしい在り方・attitude自分が認めること
今日のプラスα
2.基本的人権を考えたことありますか?
3.障害はあくまでも個性、加齢は成長であり学習された個性
生理検査アティテュード®からのメッセージ
・刷り込まれた価値観・信念
1.自分は、自分で良いのだよ♪ その基準決定のポイント3つ
1-1 「あたりまえ」「ふつう」とは?そして「常識」とは?
「あたりまえ」「ふつう」「常識」この3つの違いを認識していますか?そして、常識、非常識は誰が決めるのでしょうか?
❍日常会話の中でよく使われるのですが…
「あたりまえ」「ふつう」「常識」はそれぞれ、日常会話でよくいわれることばではないでしょうか?
- そんな「あたりまえ」のことが何で出来ないのか?
- これくらい出来るのは「ふつう」だよね
- そんなこともわからないのなんて、相当「常識」が無いよね
こんなようなことを言われているのではないでしょうか。
●その時抱く反応は…?
嫌な感情を投げられて、気にならない人はいないと思いますが、その言葉をキャッチした時の重さは人それぞれです。おおよそ3タイプに分けると
- 反感を抱く:と怒りや、恨みのようなネガティブな非常に強い感情を抱く人
- 真摯な対応:仕方ないかとそのままを受けとめ、反芻し、新たな行動に向けて動き始める人
- 自己肯定感喪失:非常に重く自己否定へと負の連鎖を招き、受けとめ切れずにひどく落ち込む人
これ以外にもその人の持つ、フィルター、つまり 生育環境、性格特性、無意識にある信念や価値判断基準によってさまざまな反応を示すと私は思います。100人に対して100通り以上の反応が考えられます。個人の中でも、その時のメンタルレベルによって、反応や対応が異なることがあります。すなわち、その時の状態によって、感情が異なることがあるからです。
❍「あたりまえ」「ふつう」「常識」とは?
これらを検索すると次のような解説がなされています。
あたりまえとは? 何だろう?
「あたりまえ」は、当前・当たり前と書きます。「当然」の当て字「当前」を訓読みした語とあります。
- 誰が考えてもそうであるべきだと思うこと、当然だと思うこと
- 普通と変わっていないこと、ありさま、世間並み
ふつうとは? 何だろう?
ふつうは、普通と書きますが、「普」は、あまねく=広く行き渡っていることという意味とされ、広く行き渡り良くも悪くもないという意味をもつ字を用います。
- いつでもどこにでもある、めずらしくないこと
- ほかとくらべて特に変わらないこと、
- 特別ではなく、一般的なこと
常識とは? 何だろう?
- 一般の社会人が共通に持っているとされる、また持つべき普通の知識、意見や判断力
- 人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力
- 共通の日常経験の上に立った知識、社会や文化という共通の意味の中でのわかりきったものを含む
- あいまいさを含んだ日常の知識ということにもなる
- 共通感覚に同じ
❍何気に無意識に使っていませんか?!
ここまで羅列したことを拾い上げていくと、
あたりまえ=普通と変わっていないこと、ありさま、世間並み
あたりまえのなかに、普通と変わっていないこととあります。
では普通とは、
ほかとくらべて特に変わらないこと
と、ありますが、他と比べてとは、何と比べてなのでしょうか?
一般的なこと、普通の知識、一般的な意見、通常の判断力とは何が基準になっているのでしょうか?
そのことを考えたこと、ありますか?
思っている以上に、何の疑問も、考えも無く使っているのではないでしょうか。
●明確な基準がないことに気づきましたか?
ここにあげた「ふつう」「常識」に明確な基準が無いということなのです。そしてそのことに気づいたでしょうか。世間並みと言われていることの「並」には、明確な基準が無いのだと私は思っています。成績などにしても然りだと私は思っています。成績をつける教師の主観的な部分も加味されるからです。成績の良し悪しで人としての良し悪しは決められないと私は思っています。学習能力が高いと評価は出来ると思いますが、試験問題が正しく解ける能力があるというだけのことだと私は思っています。成績などでは人としての評価は出来ないと私は思っています。
●気づかないうちに使っている「自分基準」
周囲とのコミュニケーションがうまくいかない、と思っている人の中にある、いわば盲点となっている部分だと私は思っています。落とし穴になっているように思います。よくありがちな上司のことばは、否定後がバンバン返ってきます。「どうして何度言ってもこんな当たり前のことが、理解できないのか?」というように、自分の判断基準で評価し、「出来ない」と切り捨てる言い方を気がつかないうちに言い放ち、自分は部下に恵まれないと、ただ嘆いているような人です。
●自分とすべて同じだと言うことの思い込み
人は、学習し、理解することで行動することができます。学習されていないことは出来なく当然です。これは、あたりまえと判断されるのではないでしょうか。
1歳児が出来ることと、5歳児が出来ることが異なることも当然なことです。子どもの「出来る」という行動に対しては、自分の持つ、大人に対する判断基準をあてはめて対応することは、当然無いと思われます。
例えば、極端なことを言うと、2歳の子どもがひとりで遠くの場所へ買い物に行くことは出来ないだろうと考えます。これは、人として誰でも認識している「常識」と考えられる範囲ではないでしょうか。しかし、大人ならば当然行くことが出来ると思います。しかし、大人でも行くことが出来ないこともあるということを理解できるか否かということです。健常者ならば、当然出来ることが出来ない人もいるというこが理解できるかどうかです。
自分が出来るのだから、あなたも当然出来るだろうという、自分が持つ基準を周囲の人に押し付けてしまっていることがあるということに気づいているでしょうか。
<常識・あたりまえ・ふつう>
1-2 ふつうの基準は誰が決めるの?
1つのワードを言っても思い浮かべるイメージはみんな異なるということです。
❍「みんな持っているよ」何気に使う「みんな」というワード
よく子どもが、Aちゃんが「みんな持っているから買って!」と、よくこんなことをいいます。みんなとは何人のことを言っているのかということです。3人の仲良しで、他の2人がもっていたら、30人のクラスの中で5人でも、きっとAちゃんにとっては、「みんな」というかも知れません。Aちゃんにとっては、自分以外の2人は、みんなという基準になっているということもあり得るのです。
「美味しそうなぶどうがあるよ」と聞くと、人により思い浮かべる種類も異なることが多いのではないでしょうか。
みんな好みがあります。自分の好きな種類のぶどうをきっと思い浮かべるのではないでしょうか。みんなが異なることもよく起こる、それこそ異なるということが、あたりまえなのだと私は思います。
そして、そんな時に共通性をもし見出すことが出来た時、にっこりと微笑み(^^)、人は安心感につながる共感性として信頼へとつながる橋を架けようとして、無意識の中に種を落とすのではないでしょうか。
❍世の中には、いろいろな人がいる
人はさまざまな得意・不得意、出来る・出来ない、好き・嫌いなどの個性を持ちます。耳が聞こえにくい聴覚障害の人に対して、一生懸命にことばで話しかけても理解されないこと多々あります。身振り手振り、筆談を用いれば会話も成立します。耳が聞こえることは、あたりまえでは無いのです。視覚化出来ないさまざまな障害があります。眼が見ない人に対してもです。心の障害を持つ人も同じです。パニック障害、電車に乗ることが出来ない、対人恐怖症、広場恐怖症なども同様です。職場のストレスから心身症を発症する人も少なくありません。
※関連ブロク「自分らしい人生、成年期~高齢期の心」
●三つ子の魂百まで
自分のものさしで物事を何気に判断して、そのまま相手に伝えているということも少なくありません。特に多いのが、親の価値観や信念がそのまま伝えられているということです。そして、人間の人格形成に生活環境は大きく影響しているということも以前のブログでまとめています。
人の生育環境、いちばん大きく影響するのは、やはり親や身近な家族からの日常的な言葉や行動から無意識に学習しています。何気に行っている日常行動が、思っている以上に子どもには大きな影響力となっているということに気づいていないことのほうが多く見受けられという現実があります。
※関連ブログ「乳児の心発達 アタッチメント」「しなやかな精神力」
●発達障害の原因
発達障害というキーワードにリアクションされる、小さなお子さんをお持ちの方も多いと聞きます。想像以上に多いのかもしれません。そして、原因とされるさまざまなリスク要因があげられるようにはなり、化学物質などの環境因子が遺伝子に作用しているということもよく聞きます。しかしながら明確な原因は、未だに、分かってはいない部分が多いとされています。
では、どうしたら良いのか?現状は変えられませんが、対応は変えられるのではないでしょうか?
「ふつうの基準」を個人レベルに変更する
右見て、左見て周囲に無理に合わせること無く、出来ないということに対して自分の感情をどう持つかということなので、自分の中の基準を「出来ない」という現状の解釈から変えることです。
- 出来ない ⇨ 自分の基準以上のこと、今は出来ないけれど、これから努力したい
- 出来ない ⇨ それ以外のことが出来るから、今はこのままで良い
最低限この2択をしてみることが出来るのではないでしょうか。出来ること、やってみたい、それいいなぁ~と思えることを行えばよいのです。これは無理だけど、ここまでは出来るという受けとめ方です。100の作業を完璧にこなせる人は一握りいるかいないかなのではないでしょうか。それは、一般的ではないこと、すなわち少数派だと私は思います。そのレベルを維持することは相当な覚悟となり、ふつうの努力では出来ないのではないでしょうか。
ネガティブな感情を持ってしまうことは、自分基準を下げてしまうことになります。すべてが出来ることよりも、一つのことに集中できる能力のほうが貴重なことも多くあります。思考のクセも人それぞれ異なると私は思っています。
●言葉は刃物になる
私自心無いひと言「そんなあたりまえのこと」「そんなふつうのことも出来ないの?バカなの?」「そんなの常識でしょ!」ここまでいかなくても、同じようなことを言っていることないですか?
言わないまでも心に思うとその感情は、言葉にされない言葉、ノンバーバルで相手に伝わります。言葉は、刃物になるという経験を何度かしています。言語も、非言語も同様です。そして、言語化しないことで、グレーな感情が相手に伝わってしまい、誤解を生んでしまうということも経験しています。必要な時にきちんと言葉にすることの大切さを感じていますが?
特に、グレーな感情を相手に抱いている場合、その根底にある感情を意識化して丁寧に伝えないと、ミスコミュニケーションになります。自分の中の違和感を意識することも大切だということです。
1-3 自分らしい在り方・attitude自分が認めること
社会一般の既成概念も時代とともに変化していると私は思っています。
❍以前の少数派が、今の常識に変わる
LGBTということも、メディアで討論される時代になっている時代です。
LGBTとは
出生時に持って生まれた身体的性と自認する性の不一致した人たちの頭文字から、性的少数者・セクシュアル・マイノリティーの一部の人々のことを表現することばです。「Lesbian」(レズビアン、女性同性愛者)、「Gay」(ゲイ、男性同性愛者)、「Bisexual」(バイセクシュアル、両性愛者)、「Transgender」(トランスジェンダー)の頭文字を並べたものです。
※引用サイト「LGBT」コトバンク
ひと昔前には、ひたすら隠していた方もいるのではないでしょうか。しかし、現在では、婚姻関係も認める自治体も増えてきました。今や、少数派とは言えない割合になってきているという事実もあります。
●現代社会に見る「あたりまえ・基準」の変容
そして、男性の化粧ということも、同様にひと昔前には、なかった傾向、むしろあり得ない、女装癖と思われ、気持ち悪がれたのでないでしょうか。それが今やネイルをすることや、男性専用化粧品が販売され、化粧をすることも身だしなみとも言われかねない時代です。化粧をするのは女性のみだとされていた行動でした。それが、男性の少数派だけに見られていた行動が、多くの男性に見られるようになり、あたりまえということに基準が変容してきたのではないでしょうか。少数派といわれる人たちが、新たな可能性、多様性ある未来を創り出しているとも言えると私は思っています。
❍クリエイティブな発想は奇想天外
夜空に輝く星や月に行きたいと願う人類の夢物語とされていた、夢が実現される時代になっています。突拍子もない思考や妄想に近い発想が実現化されるから、科学は発達し続けるのではないでしょうか。
夜空を仰ぎ、美しい月に魅せられ、月に行きたい、ロケットを飛ばすという夢への強い願いが宇宙旅行が出来る時代へと人類を向かわせています。
NG的なことばですが「バカと天才紙一重」なのです。その違いは、自分の短所と言われる部分が、長所だと気づけるメンタル力を持つか、否か、なのではないかと私は思っています。短所を周囲から罵倒され、けなされ続け、怒られ続けていると、誰でも精神を病むことになります。自己の守りに入り、自分のバリアを厚く、厚くして、殻に閉じこもり、心を閉ざしてしまうのではないでしょうか。
❍自分は自分で良い、自分らしいということ
長い人生の中で、周囲からさまざまな誹謗中傷を受けるときも少なからず誰でもあるのではないでしょうか。そのさまざまな言葉や態度に対して、しなやかな感性を持つことも大切だということです。
●どうして心が折れてしまうのか?強いから折れる
さまざまな場面でどうしたらよいのか?強い必要はいらないと私は思っています。強い心はボキッと折れてしまうことがあるからです。強くなくて良い、しなやかな心です。自分の軸を持つこと、そのためにはどうしたら良いのか?
自分を自分で受け入れることだと私は思っています。完璧さを求めるのでは無く、
- 今の自分をそのまま受け入れること
- どのようにしたらさらにより良い自分に成ることができるのか?
- そのためには、どの方向性に意識を向けるのか?
- どの方向に意識が向いているのか?
- そこから何が芽生えるのか?
- そして、どのように成長していきたいのか?
植物の成長に例えられると私は思っています。
- 今自分に必要な種はなにか?
- どのような種を植えるのか?
- 指向性、太陽はどの方向に出のか?
- 肥料は?水は?栄養源と成る過去のリソースや新たに加えるリソースです
- いつ咲く予定なのか?
- 思考を発芽させ、どのような色彩の花を咲かせ、どれくらいの果実を実らるのか?
- 自然へからの脅威を受けた時の対応は?
- 助けてくれるチーム構成は?
❍自分基準を持つことの大切さ
時には、支柱に寄り添い、保護ネットの下で身をひそめることも大切なのではないでしょうか。自己成長のための、自分基準を持つことが大切だと私は考えています。親や友人、隣の人のふつう基準ではなく「自分のふつう基準」です。自分は、自分らしく枝を伸ばし、花を咲かせ、実らせればよいのです。
●違和感はサインになる
周囲からの何気ない言葉に対して、何となくスッキリこないような感情を持つことがあると思います。その異質な感じ、違和感は、自分自身の無意識からのサイン、自分を守るための根底から、本能からの1次感情だと私は思っています。怒りの1次感情と同じです。ですから、ちょっと客観視して考えてみることも必要だと思っています。
起業塾に行くとさまざまな情報とともに、ノウハウも言われます。そして、この方法でやってくださいと、半分強制的な言葉でも言われることがあります。行うことは大切です。そして、その結果自分の身体と心の状態を客観的に見直してみることも必要です。「ねばならない」の思いで、無理に行動していると、身体に何らかのサインが発症することもあるからです。教えられた行動が合う人、合わない人それぞれ存在して私は良いと思っています。
●自分にあった方法=少数派 で良いということ
大多数の意見が合わないことも多々あるということを受け入れることからです。自分にあった方法は、自分の中に答えがあるということなのです。それが少数であっても、むしろその少数が王道になることも少なくない時代だと私は考えています。
大切なのは、
自分の在り方 Attitude
2.基本的人権を考えたことありますか?
今まで敢えて、考えたことも、調べてこともありませんでした。多くの人と関わりを持ち、今の思考の先に、きちんと知っていたい、正しく知ることの必要性を感じたのでまとめてみたいと思います。
❍基本的人権を理解する
コミュニケーションの基本は相手のフィールドに立つことだと私は思っています。
「基本的人権」標準の基準のベースは、ここにあるのではないでしょうか。それが、基本的人権を理解していた方が良いと考えます。
基本的人権とは
人権(human rights)は、人が生まれつき持つものとされ、国家権力によっても侵されることのない、基本的な諸権利とされます。国際人権法(international human rights law)によって国際的に保障されているとされます。人権思想は自然法思想に発するとされ、人が生れながらにして、人間であるということに基づく普遍的権利をいうとされます。
- 自由権的基本権 (思想・良心・学問・表現の自由など) の確立
- 政治的基本権 (選挙権・請願権など) を保障、拡充
- 社会経済的基本権 (生存権的勤労権・団結権など)
今日この3種の基本権は各国の基本法 (憲法) にほとんど取入れられています。
※引用サイト「人権」Wikipedia
❍基本的人権
人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利とされています。日本国憲法は、思想・表現の自由などの自由権、生存権などの社会権、参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権を基本的人権として保障しているとし、基本権と位置づけています。
❍基本的人権の意義のまとめ:自由権とは何か
人権は初めもっぱら自由権を意味していたとあります。自由権とは、国家権力の介入や干渉を排除して個人の自由を確保する権利とされ、自由権的基本権ともよばれるとのことです。人間の自由に対する欲求は生まれながらの人間性に内在するものとされ、人間が個人の価値を確立するため獲得した最初の権利がこの自由権だとされています。
思想の自由、宗教の自由、言論の自由、集会・結社の自由、居住・移転の自由、信書の秘密、住居の不可侵、財産権の不可侵などがこれに属すると考えられていました。これに反して参政権とは、人間として有する権利ではなく、国民として有する権利として、初めは人権からは区別されたとあります。
その後、第二次世界大戦を経て、国民主権が確立されました。国はすべての国民の生活を保障するという「社会国家思想」が一般に浸透し、参政権や、社会権もしくは生存権的基本権とされる、国民が生活を保障される権利もすべて人権のうちに含まれることになったとあります。
社会権や参政権は、自由権を前提にして確立されたものとされ、その意味では自由権は人権のなかでも、もっとも基本的なものとされています。1948年12月10日国際連合総会で議決された世界人権宣言は、自由権のほかに参政権や社会権を人権のうちに含まれているとあります。
※引用サイト「基本的人権」コトバンク
❍基本的人権に対する私見
私自身が、「基本的人権」という文言を意識的に検索したことが初めてです。
今回のテーマとして扱う個性ということのコアにあることば「ふつう」「常識」ということの基準のとして、底辺の部分に相当する基準として考えた時に、「基本的人権」という法で定められた「常識」という思考からの私の中の連鎖です。
人として、社会人の在り方とのして考えた時の常識です。人としての常識ととして、上記にあげた「人権」というところで考えると、自分以外の人を自分基準で判断することが出来ないということに気づくことが出来ると私は思いました。
人は自由でいて良いということです。自由とは、周囲の人に対しても自由を尊重するということです。何人も侵害すること無くという意味が含まれています。その在り方が、社会人としての在り方、自分自身のいちばんコアの部分に相当し、さまざまな個性を多様化させながら、成長し続けるという可能性につながるのだと私は信じています。
3.障害はあくまでも個性、加齢は成長であり学習された個性
上記の事から、社会風潮としてマイノリティを排除するようなことがあってはならないという考えにいきつきます。
❍基本的人権の上に成り立つ関係性
少数派に対しての暴言や排他的な態度は、決してあってはならないという考えとなります。私個人的に、LGBTに対しては政治的な意見をあれこれは思いませんが、言っていることに対しては、間違っているという意見はあります。思っていることをそのまま言葉にしてよい立場をわきまえる必要性は感じます。
もし、LGBTに対しての意見を聞かれることがあるならば、そのまま受け入れるだけであり、良し悪しでは無いからです。さまざまな障害があるといわれている人たちも、障害者という枠でくくってしまうのではなく、さまざま個性でしかないと考えるからです。障害と言われるのならば、おそらく私自身、よく言う一般的な基準と比較した時に、基準に達しない多くのことがあると思っています。完璧な人のほうがめずらしのではないでしょうか。
失敗があるから、成長する楽しみがあると思っています。
●加齢による変化も成長であり個性につながる、という考え方
加齢に対する変化も然りだと思っています。若い時に出来たことができなくなること、さまざまな加齢による変化が増えてきます。それらを障害といえますか?単なる個性の変化としか思えないからです。そう、加齢による変化も必要な成長と私は捉えています。この年になってわかることも多くあり、その理解度は、これまでの学びにつながるのではないでしょうか。
❍共感性・ラポールということ
自分が自分基準で考え、行動する時に、周囲を巻き込むこともあるのかも知れません。しかし、自分基準はあくまでも個人のものである必要があり、周囲との共感性「おんなじだね」という共通感情の上に巻き込みが成り立つということだと私は考えます。
●ひと言では表現できない「ラポール」
よく、「信頼関係=ラポール」と訳す方もいます。間違いではないと思うのですが、ひと言で、表現することは簡単ではないと私は思っています。「信頼」ということへの基準も個人により異なるからです。同じ空間で、空気として感じられる存在とときもあると思うし、安心できることも必要、寄り添える存在でもあるのかも知れません、その基準はさまざまだということです。
しかしながら、安心して話が出来ること、コミュニケーションが取れることは社会の中での最低基準であると私は思っています。ラポールを言い換えると、大きな意味で解釈すると、信用レベルから信頼レベルまであるとも言えるのかも知れません。
生理検査アティテュード®からのメッセージ
・刷り込まれた価値観・信念
普通でよいのに、何で普通ではないのだろうか?
そんな思いが私の中にあった時期があります。普通の意味を考えずに…
学校生活の中ではみ出すと、必ず親に連絡がきます。はみ出した子どもは、教師からするといつも問題を起こして集団での活動に支障をきたとされる異分子、すなわち教師の手に負えない子どもといういわばレッテルをはられてしまいます。1人の教師に対して30人近い子どもがいるわけですから確かに大変なのかも知れまでん。副担任を配置しても10人以上の子どもを指導するわけです。となると、当然、親に対して何らかのリアクションがあります。
❍落ち着きがない子ども
ADHD(注意欠陥・多動性障害)と診断されなくても、落ち着きのない子供は思っている以上に多くいるのではないでしょうか。自分の興味関心を抑えきれずに、検証をするために行動に移してしまうということです。大人が考えれば、同然そうなるだろうと思われることを、実際にやってみるということを私の子どもは、よく行い教師に注意ばかりされていました。
教師にとっては、すごく頭を抱えたくなるようなことばかり行うので、当然、親に連絡が来ます。そんな時私が思ったのは、
「何でふつうに考えれば分かりそうなことを、いつもやるのだろうか?」
「良い子でなくても良い」
「ふつうの子どもではないのだろうか」
こんなことばかり思っていたのです。子どもの興味関心・好奇心を否定していたのだと今ではそう思っています。
❍子どもらしい子ども
元校長職にあった方に言われたことがあります。「実に子どもらしい子どもです。今の時代には珍しい子どもらしさだと」そんなことを言ってくれた方がいました。私が子どもの頃には多くのいたずらっ子やガキ大将と言われる子どもが多くいて、子どもらしい好奇心で目を輝かせていたことを思い出します。
確かに今の子どもは、大人びているのかも知れません。小さい頃から多くの知識を押し込まれているようにも感じられます。天真爛漫な、子どもの好奇心でキラキラと輝く瞳が失われているようにも感じられます。
今日のまとめ
- 常識・あたりまえ・ふつうという表現は、人によって基準が非常に曖昧
- 「ふつう」は、自分基準をふつうと考えればよい
- 自分基準をしっかりと持つこと、そしてそこからの自己成長への行動を心がけることのほうが大切
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今日も最後までありがとうございました。
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