今日もHealth attitude blogにご訪問ありがとうございます。自粛生活の中で、SNS上などで、交わすことばでおなじみでもある「元気ですか?」そう聞かれれば、八方美人の私はすぐに「元気だよ~♪」と応えますが…

「ん?本当に私元気?」と思った

体調不良ということは無く、眠れるし、食べられるし、熱もない、まぁ健康なのでしょう。でも、心はいささか元気では無いのかもなぁとも思うことも。「健康生活・姿勢」として前回まとめていますが、「健康生活」って何だろうか?そんなことも思うのです。宣言が解除されて街に人が戻っています。自分の健康をどのように向き合っていくのということを考えていきたいと思います。

1.感情コントロールが難しいと感じる「今」考える健康の基準

1-1 心理的な安心基準には個人差がある

1-2 クルクル変わる感情レベル

1-3 朝ウォーキングに観る「運動」の必要性

今日のプラスα

2.オンラインへの抵抗感、そして会話の無い会食しても…

3.低レベルでもバランスを保つことの大切さ

生理検査アティテュード®からのメッセージ

・不安な時代を生きる術

 

1.感情コントロールが難しいと感じる「今」考える健康の基準

前回のブログでは、在り方としての「姿勢」をまとめてみましたが、心と身体のバランスで健康生活を今回は考えたいとおもいます。

1-1 心理的な安心基準には個人差がある

「健康の基準」ともいえる安心の基準にはかなりの個人差があることを感じています。さまざまな情報が錯綜する中で、どの情報を信じて取り入れるかによってもかなりの開きが生じています。

❍最低限の外出と言われたときの行動

自粛と言われていた時、外出する基準をどこに求めたかということです。

買い物回数は減りました。行く場所を決めて混まないルートを考えます。ウォーキングを日課としていましたので、その時間帯を模索、その結果、連休前から朝ウォーキングに切り替わっています。

●「密」を避けるための基準

今、振り返ると私の中では、緊急事態宣言が出された前後の頃がいちばんの「不安のピーク」でした。家の中にいるときがいちばん安心できる時間となっていました。すれ違う人を避けながら、挙動不審状態の歩き方で列を成している場所や、人混みには絶対に近寄ることなく諦めて帰宅を選択するという日常でした。そのため、お気に入りのパティスリーの閉店時、シュークリームを買うことも断念したしだいです(涙)

●店舗規模や支払い方法

買い物の際に店舗を選ぶ基準がそれなりに個々にあるのではないでしょうか。買い物しやすいスーパーと、入店をためらうスーパーとがあります。暗黙の特売日も半端では無い混雑となることがあるスーパーは自然と避ける方向へとスライドしていきました。今でも、店の前から混雑状況を見極めながら入店を決めています。商品が通路まで並べられていて、狭いのです。そのような店舗は自然と足が遠のきます。

支払い方法に関しても、自動精算機利用で、現金/クレジットの選択にタッチパネルとボタン操作が伴うために、できれば避けたい…これも私の中では基準でもあります。

●歩く場所も適宜変える

歩きながら空いている道をを選択しています。混雑してくると自然に空いている方へと変更していきます。

❍この場所は?この時間は?安心?

目的の場所や、目的の行動に応じて、自分の安心基準に照合して頭に中で予定を決めています。

安心センサーの基準をどこに求めるか

上記に上げたように、目的ごとに時間帯を考え、調べられることは事前にチェックして自分の中の基準で判断しています。

❍入店前・後でアルコール使用していますか?

意識的に見てしまうのですが、使用する人、しない人さまざまな対応となっています。

ちょっと驚いたのは、自分の手にとったアルコール剤の液体を同行者に対して「はい!」と手渡ししていたこと…そして、十分に手に擦り込むことなく終わったこと…特にご高齢者によく見ます。

手につければそれで大丈夫と思っているのでしょうか。手洗いで「不十分になる場所」として言われている部分、指の先、指の間などは、アルコール消毒を行う際にもまったく同じです。手のひらと手の甲につければ大丈夫ではありません。

ちゃんとマスクして、外出も最低限…

アルコール消毒して、手を洗って、

なのにどうして自分が感染したのかわからない

発症した方がこのようなことを言っているということを聞くと、正しくマスクもアルコールも手洗いも実行しないと、無いのと同じだということなのです。

❍すべての人が同じ意識ではない

スーパーの入店前後の動作を見てもさまざまです。アルコールを使用する人、しない人さまざまです。店舗前にアルコールがあるから大丈夫な場所や店舗だとは限りません。すべての人が正しい方法で使用た状態だとは限らないからです。商品を手に取っているその手にウイルスがいたならば、当然、触った場所には存在する可能性があります。手からの接触感染はこの状態で発生します。

先日、食品スーパーの売り場でこんな方に出会いました。後ろで待っている私へのことば…

「これ半額よ、柔らかく無いかしら」

そう言いながら、すべての半額の商品の袋に対して、袋の上からではありますが、トマトを押して、触って確認していました。気持ちはわかります(苦笑)しかし、私は購入後の商品をマイバッグにしまう前にすべての商品をアルコールで拭くことを選択しました。ちなみに、そのトマトはすごく美味しかったです。

❍人のいる場所には、さまざまな感染リスクが有ると思う必要性

どんなに注意を払っても完全は無いと思っています。感染対策のプロである医療者が発症するリスクが高いことが物語っているのではないでしょうか。ウイルスにさらされる危険性が一般の場所よりもハイリスクであるだけの違いです。人がいる場所には、COVID-19に限らず、多くの感染源が存在すると考えるべきです。不顕性感染で終わるか、発症するか否かは、個人の免疫力にもよります。

この状態がしばらく継続されることは必然です。疲れたからやめるのは自由ですが、社会的な制限が生じていることを受け入れなければこの時代で生き抜くことが出来なくなる覚悟も必要です。

自由は不自由であること

自らの規制・ルールがその自由の中に生じている

❍マスクもストレスです

冬場のマスクは、保温効果もありさほど苦にもなりませんが、6月に入り、湿度も高く気温も上昇する季節です。朝歩いていてもマスクの中はかなりの汗をかいています。汗が流れてきて痒くなり拭いたくなるのを我慢することもあります。

熱の拡散が行われないために、体温上昇をきたしやすく、熱中症への注意も促されています。昨日TVでも、繁華街でのマスク着用に対するさまざまな調査が情報Upされていました。マスク無しの会話はやはり気になります。感染リスク上昇することは理解できていても、マスクの使用が我慢できない、そんな矛盾を感じながらも着用しないこともあるのでしょう。

❍何を選択するのか、価値観への責任

すべての人が同じ感覚ではないということ、それをどこまで理解できるか。日本では強制的に従わせる法律は無い。自粛に対しても同様のため、そのことに対して非難することは出来ないのです。

そして、厳しいことを言いますが、さまざま行動への選択の基準は、個人の持つ価値観であり、その行動によって生じるさまざまな結果に対しても個人が責任を負うことは必然だと考えます。

価値観への責任

<価値観への責任>

1-2 クルクル変わる感情レベル

新型コロナウイルスの発症が出現し始めた2月中旬から今まで、さまざまな感情レベル変化を感じています。

❍大黒埠頭停泊から始まっている感情の変化

ウイルスが目に見えない非常に厄介な存在であることは、ずっと病院を基準に考えていましたので十分に承知し、「危機感」として心に根付き、ウイルスが心に寄生しようとしていたのかも知れません。「ダイヤモンド・プリンセス号」は、私の住む街だったのです。自分のイベントは2月中旬以降すべて、中止、さまざまなイベント講習会参加も取りやめました。

まったく抗体の無い感染症がどれほど驚異となるかを想像することが容易だったっからでもあります。そして、このブログ上でもさまざまなメッセージを伝え続けてきました。

その糸がプツンと切れたのが連休の頃…

緊急事態宣言の延長にはホッとしました。その反面、引きこもり生活が継続される。朝ウォーキングを始めていたことはそんな心境の中では、良い選択だったと自己評価しています。

メンタルが疲弊していることを自覚しながらも、人に会えない、ほとんど直接会話を交わすことが無くなってしまった日々をどう過ごすか。今、自分に何が出来るのか?何をしなければならないのか?そんなことを考える毎日でした。オンラインで読書会を行っうことや、遠方の友人とラインや電話で会話をすることがどれほど大切なのかということを実感しながらも、食事をしながら、さまざまなことを言い合う時間の必要性を実感できたことか。

❍情報不足を感じていた時間

自宅で得られる情報は、TV番組もネガティブなコロナ情報ばかり、番組も新しい制作が出来ずに再放送ばかり、さまざまな面で脳はフレッシュな、潤いのある情報に飢えていることが実感されました。さまざまな人と会話の中で見いだされる情報に飢えていた、人の持つ限りない知性や感性やそれらのエネルギーを欲していたのです。

そんなときは「学び」が必要、数日間、本とにらめっこしておりました。

❍何気ないコミュニケーションに救われる日常

おおよそ1ヶ月続いている朝ウォーキングで顔見知りの人が増えました。

自分の生活圏内でのウォーキングです。出会う人はご近所さんです。きっと、今までもどこかで出会っていたのです。だから、すれ違う人たちに「おはようございます」と挨拶をすることの決めたのです。それから、いろんな方々が顔見知りの知り合いに変わっていきました。名前までお聞きしてはいませんが、公園でいつも掃除をしてくださる方、河川敷のゴミを拾って歩いてくださる方、いろいろです。

私が「おはようございます」と声をかけ始めたことから、ちょっとした立ち話もするようになりました。1日のスタート時間、朝の何気ない会話にホッと和むことができます。同じような場所で、同じ人に出会うこと、人は1人でではない。そこに会話というコミュニケーションの初めの1歩があり、エネルギーの交流があります。

エネルギーの受け渡しが、人の生活に彩りを与えてくれます。

❍目まぐるしく日々の中で変わる感情

天候不順がメンタルに影響することもよくあります。

お天気だけで気分が変わります…笑。Simpleな私は、朝、太陽に出会えるとそれだけで元気になれるのですが、曇り空が続くとそれだけで気鬱にもなります。まぁ、人はお陽さまの光で幸せホルモンも作られているので当然なのですけれども。さらに、寒暖差も加わりこの気温のアップダウンもなかなか侮れないので注意が必要です。無意識レベルで体温調節を常時行っていますから、身体にとってはかなりのストレス状態だということになります。

❍ストレスがもたらす、さまざまな「カラダのサイン」

4月の半ば頃だったか、さまざまなストレスから身体の緊張が極値となっていたようです。肩こりが酷く、その状態が持続すると、緊張性の頭痛を生じることがあります。今回は、その状態さらにグレードUPしたのです。

左の耳から異音が…

何だろうか?あらぁ…これ、耳鳴りじゃん…(汗)

嫌だなぁ…と思いながらも、原因を模索する。肩~背中の肩甲骨がバンバンに張っていることを感じて、とりあえず、低周波で何度も、何度も繰り返して、肩が楽になるまで解すことを選択しました。解れたなぁと思う頃、自然に耳鳴りも治まっていたのです。過去に蕁麻疹も経験しましたが、耳鳴りは始めてでした。

身体の不調サインは、どこに出現するのかわかりません。常にセンサーONを意識していたいものです。

❍感情の起伏が激しく涙が出る…

そんなことも誘引となって、何も出来ない状態にさまざまなことが面倒になっていいく。わけもなく涙が流れるなどなど…

今の時代は、多くの人が感情の中心に「見えない不安」を抱えているのではないでしょうか。ことばや行動など他愛の無いことに対しても不安になることや、ちょっとしたことで感動し、涙が自然に流れることも。1日の花火イベント企画された方の話を聞きながら、ことばにうまく出来ない感情がありました。単に感動しましたでは表現できない情感です。

空を見上げること、そこに咲く儚くも一瞬で消える花火、でもその花火には作り手のことばに出来ない気持ちが込められていること思い描く…

先日のブルーインパルスの飛行や今回の花火プロジェクト「空を見上げよう!」というメッセージも込められているようです。モチベーションを上げるためには、「姿勢」から見直すことも必要です。

意識的に気分転換を行うことが必要なのではないでしょうか(^_-)-☆

空を見上げよう!

 

1-3 朝ウォーキングに観る「運動」の必要性

過去を振り返ると、4月27日から始めていました。

朝、目覚めたら歩く5時からウォーキング

と決めてスタートしました。目覚めなければ、目覚ましで起こされます。目覚ましをセットしてまでは…そんな気持ちがどこかにあり、目覚ましの時間はそのままで今、まだ「目覚めたら歩く」としています。

5時からウォーキング

❍自然な目覚めでスタートできる

睡眠周期から自然に目覚めることが目覚めが良い状態となります。苦痛なく毎朝30分くらいのズレ幅で自然と覚醒します。

睡眠が浅い状態で物音を聞いている感覚があるために、恐らくお隣の家の物音で覚醒させられているのかと考えます。お隣は毎朝犬の散歩をされていて、必ずどこかで会うからです。

今まで起きていた時間が5時半でしたので、小1時間歩いて帰宅するとおおよそ6時前です。すなわち私の目覚まし時計代わりの古い携帯は、誰も起こすことなく毎朝鳴っています…笑

ドラマも面白くなく、夜出歩くこともなく、早く寝るようになったことも、早朝に起きられる理由かもしれません。でも、加齢とともに確実に睡眠が浅くなっていることも自覚されます。気づけば自分の親と同じ生活習慣となっていることにいささか苦笑いです。

『睡眠周期とは』

1回「約80~100分」くらいの間隔

ノンレム睡眠とレム睡眠が周期的に出現

1晩に約4~5回交互に繰り返す

※関連ブログ「睡眠周期と睡眠段階

❍朝歩くことの効果を発見

寝起きでうがいをして、飲水のみ、着替えのみで歩き始めます。ゆっくりと伸びをしながら、身体の状態を何気にチェック、次第に速度を上げていく。

速度感覚も、ジムのトレッドミルで実際の身体感覚として記憶することが出来ています。初めの頃、ルートは試行錯誤でした。人が少ないということが前提で歩き始めたので、人気のない場所を選んでいきあたりばったりでしたが、次第に固定されて、挨拶を交わす人が出来るとそれもプラス効果の日課となっています。

公開空地が有り、1周約300 m、50 mごとに線が引かれていることに気づき、50 mでの歩数を数えると、60歩で歩いています。歩幅約83 cmと計算されます。この空き地まで約15分、ここを3周して、その先でUターン、帰りはその日の気分で歩くコースを微妙に変更しています。

❍ジム中止で運動量が減っているのに…

4月からジムが休会となり、運動量は確実に減っているのですが、何気に5月末くらいから体脂肪が減少している…

そんなことに気づきました。体重は変わらないのにどうして?しっかり食べすぎると体重には反映されるのに、体重は減っている。歩く歩数も同じかむしろ少ないのに、どうしてだろうか?

異なるのは、歩く時間帯のみと考えると、空腹状態で歩くことによって、効率的に体脂肪が消費されているということなのです。ウォーキングは有酸素運動、しかも、いちばん消費効率がよいと言われている 6 Km/h くらいの速度で歩いています。なるほど納得です。1ヶ月ほどでその効果が数値となって現れてきたのです。

混雑を避けて初めたことが思わぬ効果へとつながったのです。この先は、筋力維持~UPへと継続していくことが目標です。そして、その先の目的につながるのは健康生活を基礎とした社会での立ち位置があるのだと考えます。

心穏やかに、そして、アクティブに

やりたいことを自由にトライ出来る

エネルギーを持ち続けること

❍朝ウォーキングで注意すること

朝ウォーキングで気をつけたいこともあります。

空腹による低血糖

これには注意が必要です。寝る前には食べないようにしていますので、空腹状態が長時間となっています。極度に空腹を感じることや、意識がふわふわする、足元がふらつくなど気をつけることが必要です。糖尿病が無くても低血糖を生じます。糖新生が起こり、筋肉を逆に消費してしまうこともあるため注意が必要です。

※関連ブログ「「高血糖症状」糖尿病の症状とは?」「運動に必要な栄養素を考える」「脂肪肝を知るための肝機能 

 

2.オンラインへの抵抗感、そして会話の無い会食しても…

自粛生活で何を得たのか…?そんなことを考える毎日です。

❍オンラインでもいいかなぁ

そう思いきれない自分がいます。

知識の伝達のみならば、オンラインも可能でしょう。やらないよりは、やったほうが良い、特に学校の授業はそう考えます。TV画面をみている状態では「有り」なのですが、自分が何かを伝える立場としたら、どこまでステートを伝えることが出来るのか?と考えてします。

❍リアルな空間を共有することに意味を感じる

人はさまざまなノンバーバルを発しています。そのノンバーバルはさまざまな形となって相手に伝えられています。伝えることはエネルギーがその場に介するということだと私は考えます。

このノンバーバルコミュニケーションが、オンラインでどこまで伝えることが出来るのか?

悩ましい限りだと私は考えてしまうのです。

人と関わりを持つことの大切さ、

会話が無くなると…すると

心は萎縮してしまう…そんなことをリアルに感じる

脳は常に新しい情報を得て、アップデートしている。情報が乏しくなると、考える機能を失う。

❍営業努力は分かるけど

営業自粛が解かれ、さまざまな飲食店でも営業が再開をされています。しかし、複数で会食する際は、食事中は会話をしない、会話をするときはマスク着用、さらに横並びでというのはまだよいですが、前横を透明のパーティションで仕切られたスペースで会食しても…そこまでして食事しなくてもと考えてしまいます。

店舗を利用してもらいたいとする、店側の営業努力は評価するけれど、果たして透明の檻の中にいるような空間で会食したいのかと考えると、そこまでして、私は何か違うと思ってしまうのです。

❍飲み会に期待する意味

心理系のセミナーやワークショップ後は、懇親会に意味があると私は思っています。セミナーの内容に関してさまざまな意見交換や、その意見や考えに至るその方の人間としての個性に触れることができるからです。会話の中でさまざまな自分の中の知識が刺激され、新たな化学反応が脳細胞で生じるのです。

1つの事象に対して、さまざまな見方・考え方がある

そのことが実感できる貴重な機会が懇親会

食事を共にするという行動が生み出す共感

集い

❍食べる=食欲を充たすという行為は生きるために基本

ことわざの中に、

『同じ釜の飯を食う』

そんなことばがあります。このことわざの意味がいろんなことを物語っているのではないでしょうか。

 

3.低レベルでもバランスを保つことの大切さ

学校が再開した小中高生の行動を見ていて思うこと…

❍クラスターが発生している場所から感じたこと

クラスター発生のリスクとなる「密になる空間」と言われる場所には、今回の北九州の再開された校内で発生したクラスター、都内の「夜の街」で発生したクラスターなど、その他これまで危険とされたスポーツジム、ライブハウスなどがあります。

学校が再開した街でよく目にする風景、コンビニ前で5~6人で飲み食いしながら自由にしゃべる様子や、ハイテンションで肩寄せ合い、笑いながら歩く様子はすごく楽しそうです。中にはマスクしている子どももいますが、コロナまどまったく関係ないと言わんばかりの様子です。「夜の街」もライブハウスも気分はハイな状態、楽しい時間を過ごすことを期待し、目的として行く場所かと考えます。

ストレス解消が感染リスク?

でも、交感神経は優位な状況だよなぁ

そんなことが頭に浮かびました。それらのリスクが高いいわば興奮状態に在る心身は、血圧が上昇し、心身が活動的な状態になります、交感神経優位な状態であると考えます。ジムでも同様です。ストレスも交感神経優位となりますが、ハイテンションでいる状態も交感神経は優位で、その後心の緊張が緩むことで副交感神経優位と移行していきます。

❍楽しいことが少ない今、ストレス状態で闘う心

「密」の状態をお勧めしているわけではありません。この興奮状態と感染リスクとのバランスをとることが大切なのです。ポジティブな交感神経優位を作り出すことが求められるということだと考えます。

久しぶりのジムでの運動は非常に気分転換となりました。元々室内の利用者数が少人数で「密集」状態では無い空間であること、さらにマスク着用でもストレスにならないインナーマッスル中心の運動であることも再開した理由です。

自分で可能な選択をすること、低レベルでも交感神経/副交感神経のバランスを保つことが今いちばん必要だと考えます。不安な時代がしばらく続くことは必然です。

密の空間を認めているわけではありませんし、私は避けますが、好んで行く人に対して止めることも致しません、ただ、感染拡大予防を行うことは義務となることであり、実行して戴かなければと考えます。

その中で自分がどのようにバランスを得るのかということが、自分自身にとって最良の健康生活となり、そのようなことが今の時代、求められるのではないかと私は考えます。

 

生理検査アティテュード®からのメッセージ

不安な時代を生きる術

 ❍矛盾の中で自分の行動を客観的に自己判断

6月1日から、私が通っているジムも再開されました。緊急事態宣言の解除、神奈川県内前面営業自粛解除との決定直後の連絡で再開と聞き、1週間社会状況をチェックしながら再開しようか否か、考えていました。

4、5月と2ヶ月間休業となり、ウォーキング以外は、自宅で簡単なストレッチのみという生活。レジスタンストレーニングがほとんど出来ていない状況、買い物の荷物を持つ程度です(苦笑)やり方はいろいろあることが分かっているけれども、出来ないのが現実問題なのです。通信講座が継続できない理由と同じと自分では思っています。

結論…

行くことに決めた

不安はかなりありました。今でもあります。直前まで迷いました。片道約30分ウォーキングで通っているので、天候が「雨」というのも気になり、翌日まで保留にしようかとも考えました。そう思いながらも雨を理由にしようともしているということも否めない。

迷うけれども、そのとき無意識近い状態で行っている自分の「行動」を客観的に判断してみると、

時間を気にして行くための準備をしている

ということに気づきます。

❍行くことに決めた…その理由とは

  • 感染者数が急増している状態ではない
  • この状況が半年以上~数年間持続することが予想される
  • ワクチンや治療薬が完成され、一般化されるまでは不安が解消されることは恐らく無い
  • もし、発症した場合は、年齢を考えるとハイリスクに分類される
  • 発症した時という対応を考えると免疫力は高いほうが良い
  • 現状、運動不足による筋力低下は避けられない。すなわち免疫力を低下させる
  • 現段階で早急にコロナ不安が解消されることが、望めない状態であることを鑑みると、免疫力を上げるための行動を最優先に選択することだと思う。すなわちジムへ行くことを選択することが最良と考える。

感染・発症に対するリスクは社会的行動を増やすと増加すると考えられます。しかし、休業以前と比較して、多くの人の意識的変化も感じられるということ、そして、家でのとじこもりによる、心因的ストレスの改善も期待できます。

やらない選択による後悔よりも、行動したことによる後悔の方を選択したいと考えます。

健康力を向上させること、免疫力を上げることを選択

身体は、動かして意味がある。動かすことでエネルギーを消費し、エネルギーを生み出す。それが生きるということになる

不安な時代がしばらく続くことは必然です。その中で自分がどのようにバランスを保つのか今いちばん求められると私は考えます。_20200603_140751

 

Pure Medical attitude

生理検査アティテュード®

Junko Katayoshi

今日のまとめ

  • 不安や安心に対する基準は人それぞれであり、自分の考えを押し付けることは出来ない
  • 自分自身の心と身体の状態を客観的に観ることが基本、そこから自分に合うものを得る
  • 運動すること、身体を動かすことで心身のバランスを保つことが出来る

 

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Pure Medical attitude

生理検査アティテュード®

かたよし純子 Junchan♪  ※自己紹介はこちらから

臨床検査技師/超音波検査士/健康管理士一般指導員/健康管理能力検定1級/介護予防運動指導員/米国NLP協会認定NLPトレーナー/臨床心理学 および 基礎エキスパート取得

今日も最後までありがとうございました。