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かたよし純子です♪ 検査技師目線で簡単理解ができる健康情報を多くの人に届けたい。そんな目的で週3回発信しています。今週は、ワケの分からないと言われそうなテーマです。考える事の大切さを実感しながら、自分自身の生きがいとは、を考えるきっかけになることができれば嬉しいです。抽象的な内容になるかと思いますが、いつもの硬いテーマから離れ「心の健康」につながること、心理関連の学びや気づきをまとめてみたいと思います。自分が何を大切に感じ、今までどのような生き方をしてきたか、さらにここから先のご自身の生きがいにつながればと思います。

 

1.自分へ3つの質問、徒然と考える時間から得られる羅針盤

1-1 徒然と、考える時間を持ちませんか? Question1 

1-2 思考を統合すること集活してみませんか? Question2

1-3 マイブームからみた自分自身 Question3

今日のプラスα

2.一中十、十中一 一即十、十即一、人は、ひとりで生きてはいけない 

3.活き活につながる、死生学の学びから考えた生きる意味  

 

1.自分へ3つの質問、徒然と考える時間から得られる羅針盤

このテーマは、テーマが決まらずに思考がぐるぐるしていたのです。思考が抽象度を増し、連想が止まりませんでした。心に浮かぶテーマは、抽象度を増すばかり。。。ならば、その思考からマイブームにフォーカスして書いてみようと、これが理由です。人の死=無常 ここからの連想です。

1-1 徒然と、考える時間を持ちませんか? Question1 

思考は、連想ゲーム、脳の第一言語はイメージです。連想ゲームが大好きです。今浮かぶことば、テーマを考える中で浮かんだワードが「徒然なるままに」です。徒然草の作者は兼好法師(吉田兼好)です。鎌倉時代末期に書かれ、日本三大随筆の一つと評価される随筆集(エッセイ)『徒然草(つれづれぐさ)』の冒頭部分です。記憶されている方もいるのではないでしょうか。この、「徒然 つれづれ」が気になったのです。古文が苦手だった私でも記憶している部分です。

『徒然の意味は?』

  1. することがなくて退屈なこと、そのさま。手持ちぶさた
  2. つくづくと物思いにふけること。
  3. しんみりとして寂しいこと、また、そのさま

『徒然草』

〔原文〕

「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」

〔意味〕

つれづれなるまゝに〔退屈なので〕、日ぐらし〔終日〕硯に向ひて、心に移り行くよしなしごと〔つまらぬ事、らちもない事〕を、そこはかとなく〔とりとめもなく〕書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ〔妙に變な気持がする〕。 ※ 變=替 かわる という意味、へん

【無常からのつれづれ】

徒然とは、無常観につながる物事の考え方のようです。無常ということから何が見えてくるのでしょうか?

「無常 むじょう」とは、仏教用語で、万物が生滅変化し、常住(永遠不変なこと)ではないことをいいます。よく聞くのは、平家物語の「諸行無常」ということばでしょうか。「常」のないこと、定まりのないことを意味しています。人生のはかないこということを意味して、先日の講座の中では、「無常とは、基本的な在りよう、無常観」と説明されていました。

日常性生活の中でさまざまな「無常」を感じる場面があります。

◯ 自然の移りゆく様子、変化、季節の流れ感じる時間

人は、桜の開花で「春」を感じ、花は散る。(昔は、梅の花だったようです)桜の花の儚い美しさもやがては散り去る。花の命の終わりを見ながらも、命の変わる姿を重ね合わせて、その姿にも無常を感じることができます。

◯ 3世代家族から得られていた無常の学び「身近な人の死」

今は、住宅事情からか、核家族化が多く見られますが、以前は、両親と祖父母と同一世帯という環境が以前はあたり前の生活でした。子どもの頃からすぐ身近で生活する祖父母や曽祖父、つまり高齢者がいて、年を取ることを生活の中で、肌身で感じ、その死も間近で体験していました。しかし、現代2世代から老世帯や独り暮らしが増え、サザエさん世帯はごくわずかです。

◯ 生活の変化、終の棲家の変化

人生最後の場所も、自宅から病院へと変化しています、そのことも人々が、死から遠ざかることになっています。終の棲家も、在宅介護の普及から、病院から自宅へと環境が許されるなら戻りつつあるのが最近の傾向のようです。私的にはちょっと嬉しいこと、私事をいうならば、昨年旅立った父を在宅に戻すこと、父本人の意思は確認できませんでしたが、私の希望でした。

◯ 家族同然のペットの死

先月、娘が泣きながら夜、電話してきました「はむかつ死んじゃった。。。」

はむかつとは、彼女がかわいがっていたハムスターでした。マンションでの生活、翌日、雨の降る中、私の家の土に返してあげていました。彼女は大好きなヒマワリの花を1輪添え、そのヒマワリは彼女の代わりに1週間しっかりとハムカツを見送っていました。雨風の強い日が続きましたが、私にそう見えました。たかがハムスターと思う人もいるかも知れません。彼女にとっては、いっしょに生活をしていた家族同然だったのです。

犬や猫にいたっては、もっと長い年数いっしょに生活します。どうやっても人よりも寿命が短いために最後を看取ることになります。身近な動物の死も、どうすることも出来ない無常を感じることになります。

【死生学からの気づき】

先日、地元大学の生涯学習で東京大学名誉教授 木村 清孝教授 「死生学」の講演を聞いてきました。無常の話は、その中でのお話です。私が学ぶ催眠療法家ミルトン・エリクソン博士のご息女 ロクサーナ・エリクソン博士のことばを思い出させていました。

死生学とはさまざまなことが含まれます。人の「生」を考えること、人は生まれやがて死をむかえその生涯を終えます。生死ということばはよく聞きますが、死生とはどうしてか、前期受講した「死生学」の講座の中で聞いた気がしますが。。。

人は親を選んで生まれてきている。胎内記憶で有名な産婦人科医 池川明先生の講演の中でそんなことも聞きました。ならば、自分の両親から

  • 何を学んだのか?
  • 何を学べたのか?
  • この先何を学べるのか?

私の両親は、昨年、一昨年と相次いで亡くなりました。今でも、両親との思い出から気づくことがよくあります。この、故人とのつながり、縦の繫がりのことも、先日の中野先生のお話の中にありました。

【無常から考える生きがいとは?】

無常とはすなわち「死」を意味するとのこと、「老化」のところでつぶやいたこと、「人は死ぬために生きている」ということをお伝えしました。

そして、ここでやっと「最初の質問」です。

Question1『どのように生きるのか?』

ということに思考に導かれます。生きるとは、つながりを考えること。

現在と過去とのつながり

現在と未来とのつながり

命とは、仮の名を得て無常の中で持続する生命活動を営むこと。この生命、今あるいのち とは、自ら親を選んで生まれてきたのならば、「身体」は借りたものに過ぎない、そのことを身体にも感謝しながら、生命活動を行わななければならない。反故にすると、その苦しみを苦行として悩まなければならなくなることにつながると私は思います。

無謀な生活習慣や食生活は、自分の身体への冒涜につながるのだと、私は、今ならそう考えることができます。

「どのように生きるのか?」すぐに答えられないかとも思います。それはそれで大丈夫です。

紅葉の無常

 

1-2 思考を統合すること集活してみませんか? Question2

今、いちばん気になっていることは何ですか?自分の好きなことにつながりますか?

好きなこと、気になることを仕事にできたら最高ですよね。一時、足繁く企業塾に通っていた時期がありました。概して言われることが「好きなことを仕事にしよう!」です。しかし、ちゃんと理論的に考えないと無理です。それもしっかりと実感していないと。

【自分の思考の統合】

自分自身の強みを知っていますか?強みなんてないかも、と思っていませんか?

Question2『自分の強み・興味・価値観とは何ですか?』

〔強みとは?〕

長所と言い換えてもよいかも知れません。ちょっとだけ自慢できること、得意なこと、何でもよいのです、片付けが上手、残り物で簡単に調理できる、話し上手も強みです。すぐに人と仲良くできる、歌がうまい、人脈も財力も強みなります。周囲の人とほんのちょっと変わった経歴を持つことがあればそれも強みになります。意外と過去に埋もれてしまっているのが強みだとも言えます。行動でも性格でも何でも強みになります。過去の成功体験、例えば小学校の時に表彰された、コンクールで賞を取った、資格や得意技などももちろん強みになります。

〔興味関心〕

楽しいなぁと思えること、好きなことはもちろん、これからやって見たいと思うこともなどです。また、自分には向いていないと思っても気になることとかありませんか?やってみたいことにトライすることも必要な時があります。気になることは、意識が向いているという前提があります。脳のセンサー、フィルター意識レベルに上がってきたことです。

自分の過去から現在までを思い出し、ワクワクするような場面を思い起こしてみるのも良いかも知れません。

〔価値観〕

日常生活で大切にしている価値判断基準です。生き方、信条、信念などが関係してきますが、家族間で大切にしていること、人と交流する中で大切にしていることや優先していること、と考えると難しいでしょうか。子どもの頃、周囲の大人、親や恩師から学び信じていることなどです。

もっと簡単に、日常の中のルールの中にある価値観、生活の中で優先していること、買い物する時の物選びの基準、仕事の中での順位付けでの基準、交通手段を選ぶ時の選択方法などや、毎日の自宅での日常で守っていることや判断基準としていることです。

【人と違ってあたりまえ】

この質問に対して、周囲と比較すること無く、何でもよいから、大丈夫なのですから、とにかく書き出すことが大切です。親から、目上の人から、周囲から、社会常識だからなどなど、言われていることで自分に違和感があることは除外してください。

社会常識=自分の中のルールにはなりません。「学校の中の常識は、社会の非常識」こんな言葉もあるくらいです。このことを本で読んだときに、著者に強く共感したことを記憶しています。

視点が変わる、コンテクストが変わるとあたり前があたり前ではなくなります。だからこそ、人間の進化がありうるのですから。現在の常識はいつまでも通用しないことも多々あります。今やふつうに携帯電話、はたまた、スマートフォンまで小学生まで持ち歩く時代、会わなくても情報交換ができる、人類の歴史の中では、ほんの少し前までは、あたりまえではなかったことが、あたりまえになるのです。

思考や発想、思いはひとりひとり異なっているということが大前提です。「その考え方おかしいよ!」もし、そう言われたら喜んでください。「私は、たぐい稀な発想力があるのだ!」とです。ただ、周囲の意見や助言には耳を傾けることは必須です。足並みを揃えるという行動は必須条件です。

【共通する部分、3つが交差するものは何ですか?】

この「強み」「興味・関心」「価値観」この3つを書き出してみることから気づくこともあります。何かの選択を迫られているときや、大きな課題や選択をしなければならないときなどの場面で考える、ここから何かが見えてくることもあるかも知れません。書き出して、3つの共通点がそのときの自分自身の人生の羅針盤を示しているのだと私は考えます。

大切なのは、書き出して「視覚化」して、ひとつずつ考え「身体感覚」で感じてみることです。身体感覚で感じるとは、そのワードをイメージ(思い浮かべた時)の持つ意味を身体のどこの部分で、どのような感情が出てくるのか、思い浮かべることができるかということです。自分の中のやる気だったり、パワーにつながったり、充実感だったりさまざまな感情を言葉にしてみてください。共通点がそのときの生きがいにきっとつながりを持つのだと私は思います。
集活

<集 活>

 

1-3 マイブームからみた自分自身 Question3

自分の中にあるマイブームを再認識してみること、これも新たな自分発見につながります。

Question3『どうして、今コレに嵌っているのだろうか?』

なんとなく良いなぁ~と思うことや、最近良くする行動、習慣化している日常生活の中に自分が将来行きたい未来が見えると思っています。初めて見聞きしたことや、新しい場所や空間、サークルやコミュニティなどさまざまな環境要因が脳に刺激を与えます。初めての場所には、不安と未知なることへの好奇心と、相反する感情が錯綜します。

そんな時、どうしていますか?

「どうして、やりたいのだろか?そこの場所に行きたいのだろうか?」

など、自分に質問しながら、頭のなかで未来旅行をしてみてください。イメージしてみるのです。そして事前に楽しんでみてください。子どもの頃、遠足に行く前のワクワクした時を思い出すかのように、もうすでに遠足に行っていることを思い浮かべてみるのです。まだ見ぬ未来を思い浮かべてみるのです。

脳は、時間の概念がありません。過去に起きたことも、現在起こったことも、未来におこることもすべて、あたかも今現在起こっているかのように感じ取ることができます。それが脳の時間感覚です。未来を想像してみて自分にフィット感があるようならば継続すること、新しいことを始めることともに選択するべきことなのだと私は思います。

【人は感情の生き物です】

2つ目の質問で、自分の信念価値観につながる感情を見つけることができました。

そして、3つ目の質問で、向かう未来の姿へのヒントが得られたかと思います。

人は、感情で動きます。行動することができます。

個人心理学と言われる アドラー心理学の目的論では、

「個人は目的を立て、目的達成のために行動をする。目的のために感情を表す」

『行動をするために感情がある』

という考えが基本にあります。

怒鳴っている人を見たら、どう思いますか?「怒っている」思うでしょう。

怒っているから大声を出すのではなく、

怒りという感情を表すために、大声を出すのだと言うことです。

2つ目の質問は、感情です。

その感情を得るがために、つながる行動へのヒントが「マイブーム」の中にあるか、そのマイブームを手がかり、ツールとしてその先に欲しい感情があるのだと思います。

欲しい感情=生きがいにつながる行動

この答えが得られるスリーステップです。質問の1つ目は、自分の無意識への問いかけです。答えが見つかるまでちゃんと考え続けてくれています。

日常会話の中で、人の名前や地名などなかなか思い出せなくてイライラしたこと、その答えが突然思い出すことないですか。ちゃんと脳は答えを探し続けてくれているのです。日常の中でも、自分にとって良い質問をするようにしましょう。脳は、否定語を持ちません。

よく言われる「ピンクの像」です。

「ピンクの像なんて・・・」

「想像しないでくださいね」

と言われてもすでに、

「ピンクの像」が頭には浮かんでいますよね。

「~~出来ない」「~~は難しい」「~~は無理だから」「いつも失敗ばかり」「どうせ出来ない」。。。

これらの否定語やネガティブな言葉は、そのイメージがしっかりと残ります。

つれづれと考えるならば、質問2で、欲しい感情を明確化して、質問3で、今更に興味関心の向く方向に羅針盤を合わせて、新たなツールを得るための時間につれづれと時間を費やしませんか?すると、質問1の答えが見えてきます。

【無駄な行動は1つも無い】

これ、私がここ数年何度も何度も、無意識に繰り返していたステップです。どうしても手放すことができない生きがいを見つけるに至っています。だいぶ時間は費やしましたが、無駄なことは決してひとつもありません。その理由は、すべての行動には、肯定的な意図があるからです。そして、その理由を見つけることに気づいたとき、ちゃんと人生の目的に沿った軌跡をたどっていることを確信することができるのだと思います。

 

2.一中十、十中一 一即十、十即一 人は、ひとりで生きてはいけない

「華厳宗五教章」の中に「一中十、十中一 一即十、十即一」 という言葉があるそうです。

【いのちを支えるもの】

一の「中」に十がある、十のすべての「中」に一を兼ねている、「即」とはそのままという意味で、一はそのまま十であるということ、すなわちそのまま存在して、個と全体は同じだという意味だそうです。

この意味の中には、何が命を支えているのか?ということの答えが含まれてきます。命をささえるのは、「衣・食・住」で、これらは食物連鎖という形でつながっている。食物連鎖とは、命をつなぐこととして大切なこと。すべての生命は、共生と共存の関係性で成り立っている。他者のためになることを、行動することで成り立っている。人が人を支えているということにつながります。

「どのように生きるのか?」

この質問、若い人には答えにくいでしょうか。でも、子どもの頃、「宇宙とは?」から下がってきて、頭の中に描いた宇宙のなかの地球、世界、日本、神奈川…こんなことで宇宙からみたら???こんなことをよく考えていたことを記憶しています。もちろん、答えはでていません。

【他者との縦のつながり】

そして、人生後半にかかり、このままでは何か違うと思い、そのときの安定した職場を手放すことにも…それも、すべて自己選択、私の人生の軌跡上では正しいことだということです。自分が正しければそれで良いのです。

私は、終活ということばが、好きではありません。死は、終わりなのでしょうか?私はそうは考えません。先日の講演の中でも、言われていました。人生50年と言われた時代からはさらに今では100年と言われていますが、それでも人の一生は、たかだか100年に過ぎません。人類の歴史からしたら微々たるものです。

命はつながっています。

命、生命の安らぎと活性が大切だと言われていました。今、生きて生活している中で自らの命がやすらぐこと、活動することが生まれてきた意味につながる、自分自身の生きがいにつながるのだと私は考えました。自分や人を信じること、信じることは、つながりであること、自分を信じ、他者を信じること。人は、さまざまな人と人の間で生活しています。だから「人間」人の間と書いて、人間です。木村教授は、人には、他者とのつながりがある、それは、「横のつながり」と「縦のつながり」だと。

  • 横のつながり:親しい人や今現在、つながりがある人との関係性、
  • 縦のつながり:故人(過去)と子孫・これから生まれてくる人(未来)との関係性

横のつながりは考えやすく、うけとめやすいと思います。しかし、縦はどうでしょうか。人の死、自分と関係のある故人との関係性は、過去の記憶として思い起こすことができます。そして、そこからさらに学ぶこと、気づきも得られることがあります。

縦のつながりを考えてみました。私たちのいまの暮らしは、先人たちの努力の恩恵、功績があって、今の便利な社会生活が成り立っているのではないでしょうか。だから、人生100年時代と言われ、医療の進歩や便利な生活のお陰様なのです。そのことを考えてみたことありそうで無いのかもしれません。あたりまえは、あたり前ではないのです。

【就活でも終活でもない、集活です】

命は、縦のつながりがあります。死は、終わりではありません。就活で、終活もいりません。私は、人生の広範に入ったら、集活(しゅうかつ)が良いとおもっています。つまり、日常生活の中で、生きてきたことの意味を見いだすことが出来た瞬間、その瞬間を集める活動が集活です。自分のなかのツールの掘り起こしです。上記の質問2に、つながることを思い出してください。自分の感情にアクセスするとき、感情につながります。力を貰える、勇気を貰える自分自身の過去の記憶です。

褒められたことや、めちゃめちゃ頑張ったこと、仲間と楽しく過ごした時間などなど、子どもたちとのもいでもあるのではないでしょうか。

 

3. 活き活につながる、死生学の学びから考えた生きる意味  

以前にも活き活ということばをご紹介したことがあります。生きるための活動です。今年に入りさまざまなところで、「死生学」を学んでいます。

自分の中にある「死」ということばに少し抵抗があることは否めません。少しどころはかなりあるのかも知れません。でも嫌が上でも年齢を考え、やはり人生後半になり、考えざるをえないのかもしれません。

【3世代生活から学べること】

私は、祖父母と暮らした経験がありません。年に数日、いえ、数時間会うのみで高齢者との接点がまったくと言っていいほどありませんでした。

しかし、私の子どもたちは、私が常勤で働いていたため、よく私の両親に預かって貰っていました。目を離せない小さい時からですから、1日中、数日間ということもありました。さらには、通っていた保育園の園長先生はかなりのご高齢、70歳代でもかくしゃくとされています。言い換えると親から学べなかったことを幼少期からきちんと教育してもらっていた、社会で育てて貰っていたこと、このことを再認識し、今さらながら感謝に耐えません。成人した子どもたちは、親の欲目かもしれませんが、高齢者への接し方、思いを持ち私には無い、優しい心根の大人に成長しています。

3世代で暮らしてきた子どもたちは、人が年を取ることを知識としては、理解出来なくても感覚として無意識に理解出来ていたように思います。さらに生きていく中での生活の知恵や知識を年長者から学んでいたのではないでしょうか。仏壇や神棚に手を合わせる、など先祖(縦のつながり)とのつながりや、年長者との接し方なども学んでいたように感じます。

【生活に中でかかわる死】

死を考えることは、生きることにつながります。今年も後1ヶ月です。昨年に続き親しい友人との別れもありました。自分よりも若い人の訃報はことばにできないほどの悲しみがあります。その悲しみを受け入れることにも生きなければなりません。私自身もまた、他者とのつながりがあり、役割があるからです。そして、故人へ思いは私の記憶の中で生き続けます。故人とのつながりのある人の中で故人は生きているかのように語られることもよくあります。

人はそれができるのです。故人への思いがあるから、いつでも記憶にとどめておくことができるのです。その人間のもつ感性を大切にしていきたいと私は思います。そのことも含めて、私はいかに生きていくのか。未来の子どもたち、まだ見ぬ人々にどんなギフトを残せるのか、それが活き活につながります。

<ブログ後記>

縦の関係、故人とのつながり、未来への引き継ぎは生きがいにつながる  

このブログを書いているタイミングで「慰霊祭」この案内をいただけたことは故人の引き合わせを感じました。

私事ですが、昨日父の慰霊祭に参列させていただきました。

昨年11月に最後を迎えた病院スタッフさんの手作りの「慰霊祭」でした。前勤務先の病院でも解剖慰霊祭は執り行っていましたが、昨日のような慰霊祭は初めてでした。以前は、職員のみで1年間に亡くなった御霊への慰霊祭を行っていたとのお話がありましたが、3年前より、遺族に参列してもらっているとの説明、ほんとうに病院職員のみの進行で行われていました。祭壇はおそらく業者かと思いますが、式中、受付進行はすべて職員のみ、業者の姿はありませんでした。

そのことに病院の姿勢、医療の在り方をみせていただいた気がしました。1年で243体、参列者は150名ほどでしょうか、思いの外多くの参列者、その他多くの病院職員が日曜日にもかかわらず、献花してくださいました。病院職員の真摯な姿に頭が下がります。自分自身が医療者側の目線で判断させてもらっても、とても心安らぐ時間を過ごすことができました。

父から直接、聞くことは出来ませんでしたが、きっと入院中のさまざまな治療や看護師、看護助手さん方初め多くのスタッフの方が関わっていたのだと思います。その治療やケアに父は、おそらく満足していたことは類推されました。

改めて心から感謝いたします。ありがとうございました。

 

今日のまとめ 

  • 無常とは死を意味し、無常観を受けとめることで、人は自分の生き方に向き合うことができる
  • 自分の価値観につながる感情を見つけだすことが、生き方につなげる羅針盤を得ることができる
  • 気になること、マイブームの中に、未来へつながるヒントが隠されている

 

<Pure Medical attitude のblog>

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今日も最後までありがとうございました。

 

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代表 かたよし純子 Junchan♪  ※自己紹介はこちらから

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