元気&HealthのJunchanのblogにご訪問ありがとうございます。医療スタッフのメンタルパートナー かたよし純子です♪ 検査技師目線で簡単理解ができる健康情報を多くの人に届けたい。そんな目的で週3回発信しています。今週は、「生きるを考える」というテーマで徒然なるままに連想されることを書かせて戴いています。今日はそのまとめとして、未来につながる生き方をイメージしていただけたらと思います。初回の中でお伝えした縦の他者関係から、自身生きる意味につながればと思います。若い頃は考えることも無いかも知れません。あっという間に年月は過ぎ去ります。師走に入ろうとするこの時だからこそ、お茶を飲みながらちょっとつれづれを楽しみませんか?
1. 死生学から学んだ生き方を考えるポイント3つ
1-1 死者との関係性、つながりを考える
1-2 現代の死者との接点を考える
1-3 過去の人との記憶の共有
今日のプラスα
2.人のつながりを考え、未来を生きる自分とのつながり
3.自分らしい「生きる」、生きてきた証を集める「集活」のすすめ
1. 死生学から学んだ生き方を考えるポイント3つ
「死生学」あまり馴染みのないことばでしょうか。私自身が数年前までそう感じていました。でも気になっていて、改めて今年初旬から学びはじめ、未だその過程です。でも、自分は如何に生きるかということに真摯に向き合うことの大切さを考える切っかけになっています。
1-1 死者との関係性、つながりを考える
今回のテーマの初回にもお伝えした、仏教につながる死生学の講座はとても新鮮でした。新鮮ながらも、先に学んだことにつながる、さらには心理学につながるものがコアにあるのだということを私は感じました。そう、学びから何を得るのかは、同じ受講生でも人それぞれですからね(^^)
今回は、東北大学総長特命教授 鈴木 岩弓教授の講演を引用させて戴き、私のつれづれなる解釈での内容を基本にお伝えいたします。
【東日本大震災の傷跡】
講演は、「東日本大震災」と爪痕から始まりました。鈴木教授ご自身のその後の行動にも大きな影響を受けたというところから始まりました。15,894名の尊い命が失われ、いまだに、行方不明の方も2,546名(2017年9月現在、から変化なし)この数字が意味すること、そして残された人々のさまざまな行動の表れから、その感情の類推。あくまでも類推ですが、そのようなたくさんの調査の結果を示してくださいました。残された方々の中での、亡くなられた方、行方不明の方への微妙な感情の違いを、客観的に示されていました。
【生者と死者との関係性】
人間は、人の間と書いて、「人間」です。
縦の他者関係は、死者との関係性になります。死者と関係性は、生前の時の関係性の延長線上にあります。亡くなられた方を思い出す時に、生前の姿で思い出すことが多いのでしょうか。その時の死者は、記憶の中で生きているとも言えます。その関係性が深いほどより記憶も鮮やか思い出されるのかも知れません。
過去のブログでもお伝えしたことがありますが、死の人称の考え方「1人称の死」「2人称の死」「3人称の死」ということばがあります。人は、3人称、2人称、1人称の死を順番に経験するといわれ、3人称と言われる、他者の死、大切な人、親しい人の2人称の死、そして1人称は自分自身です。
- 3人称の死:他者の死、抽象的で対象化できる、ニュースなどで知ることが多い死一般的な死
- 2人称の死:大切な人、親しい人の死、自分自身ではないが深い悲しみの囚われる死
- 1人称の死:自分自身の死
【故人との関係性がもたらす意味】
このように亡くなられた方が誰かによって受けとめ方、感じ方も異なるのが実際です。TVでの事件報道での死を聞いて、怒りや、ことばにできない悲しみを感じることはありますが身近ではありません。次の瞬間笑うこともできます。自分自身、「私にとって」のという主観的な前提がそこには必ずあります。
今年もあとひと月で終わろうとしています。今年亡くなられた有名人などもよく報道されます。私のまわりでもあります。すごく親しい友人が春に亡くなり唖然としました。突然の知らせにことばを失いました。何もできなかった自分自身に腹がたち、深い後悔の念を抱き、無力感が残りました。
それでも私は生きています。私よりも若くして亡くなった彼女の無念さを思い、陳腐なことば表現しかできませんが、友人の分まで生きなければならないとも思っています。
このように、肉親以外でも故人との関係性により「死」の受けとめ方はさまざまな意味を持ってきます。
【死者へのさまざまな思い】
死者への弔い方も人それぞれです。亡くなられた直前の姿(年齢)に対して供養を奉納する人もいれば、幼い子どもを亡くした親は、生きていた場合の学齢に合わせて、毎年歳とともに、成長し供養し奉納する人もいます。好きだった食べ物を供えたり、誕生日にはケーキを備えてお祝いをする、水子の歳を数えて、お酒を供える人もいたりします。
記憶の中の死者は、生きている人の中でさまざまな姿に変わっていきます。
1-2 現代の死者との接点を考える
このように故人に対してどのような感情が有るかによって受けとめ方は異なります。意味のある死者か、一般的な死者かによって分けられるのです。
では意味ある死者との接点には何があるでしょうか?
【空間的な接点と時間的な接点】
講座の中で、死者との接点、つながることが出来る方法を示されていました。
〔空間的な接点〕
空間的な接点とは、意味のある場所、つまり死者とつながることが出来る場所です。お位牌や遺影、過去帳を置いてある仏壇や、お骨を収めている墓、お墓のあるお寺、亡くなった場所や霊場などの霊が集まるとされている空間的と説明されていました。死者のシンボルであり、亡くなられた個人に由来する場所などです。
〔時間的な接点〕
時間的な接点とは、死者との意味ある時間、命日、祥月命日など死者の個人に由来する場所です。記念日や年中行事の中での死者との思い出も時間的な接点になります。
【身近な空間的な接点:仏壇】
家の中にお仏壇を置かれている家も少なくなったのでしょうか?ネットで検索するとその購入数は減少しているとあります。
私の遠い記憶、幼少期に父が仏壇を買った時の記憶があります。父は実家からみると、分家になりますので、お位牌は置かれていません。紙に書かれた祖母の戒名が置かれていました。両親は、そのお仏壇に毎朝お線香を上げていたこと記憶しています。私には、父方の祖母の記憶はありません。考え合わせると、私には祖父母の葬儀へも参列した記憶がありません。2~3歳の頃の古い写真があった記憶がありますが、誰の葬儀だったかもわかりません。
新たに購入したお仏壇は、父にとって自分の母親と会える場所だったのだと今更ながらそのようなことを考えます。両親のお位牌は、実家の父が購入したそのお仏壇に収められています。お仏壇は両親と会える場所でもあります。
【変わる葬祭、お墓の形式】
霊園にいくといろいろな墓碑銘をみることができます。お墓を建てられたかたのさまざまな想いが込められた言葉が綴られた墓石を目にします。時代の流れを感じます。
〔変わる墓碑銘〕
このようなお墓の形状が変わってきた背景も講座の中で取り上げられていました。家系を守るという考え方が変わってきたことが背景に大きく影響しています。檀家という墓地のある場所との関係性です。地縁、血縁、社縁などの崩壊が影響しています。墓石にもさまざまな形式がみられます。
死者の面倒を見る人、つまりは、子孫が先祖を守るということが難しくなり、墓地を守るということも難しくなってきたこともその原因のようです。とすると、自分が亡くなったあとの遺骨がどうされるのか、どうされたいのかも自分自身も含めて、現代人は考える必要があるようです。私自身、どうするのかちょっと不安になることも否めません。苦笑
〔変わる葬儀〕
埋葬の仕方から、葬儀も変わってきています。土葬から火葬への移行。東日本大震災のときのことも話されていました。多くのご遺体を火葬にできず、土葬で埋葬したのち、数ヶ月で掘り出して再度火葬を行っていたとのことです。その理由が、火葬に対する後ろめたさのようだと言われていたことがすごく記憶に残っています。
火葬場は以外に混んでいることがあり、亡くなってから葬儀まで数日を要するということも少なくないようです。そして、さまざまな理由から、葬儀も身内だけで行う家族葬が増えてきたことを感じる方も多いのではないでしょうか。
【供養の変化の行方】
イエが先祖代々の墓を守るという意識が変わってきた現代では、死者をどのように弔うのかという問題が浮上してきたようです。このような状態の中で、新たなソリダリティが模索されているようです。同齢者、友人グループという方法のようです。共同納骨堂や単身者が入る合同墓、夫方、両家墓、集合墓、合葬墓などが最近の傾向のようです。
1-3 過去の人との記憶の共有
亡くなった人への感情はさまざまです。死者、逝きし人とのつながり、そこには生前の死者との関係性が関与します。
【生きていた頃の死者とのつながり】
リコレクション、回想しながら、死者との新たなつながりをつくるということがあります。回想とは、過去の出来事を思い出すこと、再生することです。
リコレクションの特徴として、
- 再生の対象が自己と密着に関係し、再生に際して過去の生活体験を伴う
- 再生の内容が環境のコンテクストの中で現れる
- 現実に再生のきっかけが少ない
同じ両親から生まれた兄弟でも想いは異なります。死者が共通の知人との間でもさまざまです。思い出を共有する場合とそうでない場合があります。死者との思い出を語り合うことで、心の折り合いをつけていきます。その試行錯誤の中で、社会学者が提唱する「生者と死者とのつながり」5類型があります。
① 死者の記憶
死者の本質を実在とし、死者とは生き残った者の記憶の中の存在となります。実在と死者の記憶は両立します。
② 死者の霊魂
人間は、肉体と霊魂から成る二元的存在であり、肉体は失われても、霊魂は残るという観念で、死者とのつながりは霊魂との関係となる。
③ 死者たちの世界
死者が霊魂となると考え、その住む場所を幽界とし、生者の世界を顕界と区別される
④ 死者の転生
死者は死後、生前以外の存在として生き続けるという観念のもと、象徴的不死性となり、家族、人類、自然、仕事などの中に生き続けとされ、死者とのつながりを感得する。
⑤ 想像上の死者としての自己
自己をすでに死んだものと見立て、自己との関係において自分自身の生き方を決める
【死者とのつながりの実体】
忌明けから弔い上げまでの間は死者との関係性をそれぞれが整理する時間だと思います。生前の話をしながら故人を偲ぶ。あたかも今いっしょにいるような感覚すら覚えます。日本分化において死者とのつながりは、生者に対して元気づけてくれる存在として扱われています。死後、ご先祖様となり霊魂は田の神、氏神となり子孫である農事を助け、守ってくれている、というように理解されてきました。
そして、生きていいる私たちが死者に対してどのような影響を受けているのかを考えることは、生者にとっても意味のあることとされます。死者に対する記憶は、生きている多くの人の中の脳の記憶として刻み込まれ、脳の活動の一部を司る物質として、認知や行動に影響を与える実体として存在しているともいえます。例えば、両親や肉親が遺言として言い残したことを、信念として守り続けるという形でその実体を知ることができるのではないでしょうか。
2.人のつながりを考え、未来を生きる自分とのつながり
脳死を人の死とする臓器移植をみなさんはどのように考えますか?
【脳死を通して生きるもの役割】
「死」について考えること。1997年に臓器移植法が制定されました。その頃、主人が言っていました。「俺は使える臓器は何でも使って貰いたい」その考え方にも私は賛成なのですが、主人の書いたドナーカードの家族の同意欄に署名ができなかったことを記憶しています。
毎日生活する中で、ちょっと避けていたい部分なのかもしれません。私自身もそうでした。2009年には、「脳死は人の死とする」と改定され、その後ドナーカードの普及が始まりました。
脳死と診断された場合に対する臓器移植承諾の意味なのですが、ドナーカードへサインすることで主人が死んでしまうようなそんな感情を抱いたように記憶しています。そんなことは無いということが分かっているのですが、それでも縁起が悪いような気がしたのでしょう。
その後、移植コーディネーターへの道も考えたことがあります。その時心理学を学び始め、脳死についても真剣に考え始めたことを思い出します。もし、自分の大切な人が脳死と言われ、心臓が動いている状態で「死」を宣告されたらその「死」を受け入れできるかということです。みなさんは、自分自身や、身近な家族の死について考えたことがあるでしょうか。
命をつなぐ大切さを理解し、でも、当事者ならどう判断するでしょうか。自分の大切な肉親や家族が脳死となった場合です。肉体がある以上は生きていると感じます。
【脳死を通して他者との縦のつながりを考える】
今なら、もし自分の死後、臓器提供することで見知らぬ人の命が救えるのなら、未来に貢献できる考えることもできます。自分の命をつないだ人が、未来でさらに多くの人の命をつなげるきっかけになることもあるのではないでしょうか。未来でも自分の身体が、遺伝子をつなぐことになるのではないでしょうか。
自分の命は、自分だけのものではない。生まれてきた使命があり、命を生きることを意味すると言われました。そして、運命の「運」とは、巡る、定めという意味とのことで、運命とは、定められた巡りです。定められた巡りは、特定された場所、その場所で輝くという意味があるそうです。そこの場所で生きることであり価値基準では決められないこと、生まれてきた場所は巡り合わせて決められた場所のようです。ひとりひとり生きるということに異なる意味があり、課題があるのだと私は理解しました。
3.自分らしい「生きる」を考える、生きてきた証を集める
ここ数年、自分自身の比較的親しい人の死を通してさまざまなことを学ばせて貰っているのだということを実感しています。ここまでお伝えしてきたように、親しき死者は、私自身の記憶の中に存在し、生き続け、ことある時に想い出し、会話していること、そしてそこから何かしらの意味や結論を見出していることを実感しています。
【災害から学べること】
冒頭で、2011年の東日本大震災が、鈴木教授に大きな影響を与えたとお伝えしました。一瞬にして、多くの人の命を奪い、多くの人を遺族にしてしまった過酷な現実。誰もあの震災の直前、人生の終わりを迎えることになるということを予想してはいなかった、という残酷な事実。一瞬の判断で生死を分けた人も多くいたことでしょう。人の命、生と死は背中合わせにあるということを想起させ、残酷な現実を受け入れざるを得なかった。想定外のことも何時起こるかわからないということが現実であり、受けいれることが必要だということです。想定外とされることも、数%の確立で想定内となるということなのです。
多くの人々が人生を考えるきっかけになったということをよく聞きます。自然災害もそうですが、日常さまざまな危険はあります。人の命ほど儚いものは無いのかも知れません。
【生きるを考えるための集活】
初日にお伝えした「Question」を再度やってみてください。「強み、興味関心、価値観」この3つです。自分が今、何が出来るのかを模索すること。「経験無いし、何もできないから」ということばをよく聞きます。私も言っていました。だけど、毎日生きていればさまざまなことに遭遇し、それでもきちんと生きています。生活できていれば必ず強みはあります。無意識機で行動していることを意識してみてください。身近な死者との会話をしてみてください。もしこの質問をしたらなんと答えるだろうか?そんなことを死者と会話をイメージするのです。
心が向く物、ワクワクするもの、自分が大切にしていることば、親や信頼する人に言われたことばや、無意識に大切にしていること、そんなことを集めてみてください。こどものころ褒められたこと、できたこと趣味とし、得意なことなどなど、たくさんのリソースがきっと見つかります。そんなリソースを常に集めて置くことができます。自分らしいと思う過去を集める活動「集活」です。
きっと、人生の課題が見えてきます、課題が明確にまではならなくても方向性が必ず指し示されます。私自身がそうして見つけ、紆余曲折しながらも明確な方向性を持つことができ、歩み続けています。馬鹿げたことと思うことも多々あります。でも進むことが生きることです。精一杯人生を楽しむことです。
理想論かもしれませんが、自分らしく生きることがその人の運命だと私は思います。
最後に。。。
【意味ある死者との接点としての慰霊祭】
初回の末筆に記しましたが、先日の日曜日、父が亡くなった病院の「慰霊祭」に参列した時、私は1年前に亡くなった父のことを思っていました。慰霊祭は、私も含め、多くの人々の哀しみに充ちた空間でした。150人あまりの遺族の集まりは、それぞれに哀しみの感情が充ちてその哀しみに寄り添う形で、医療スタッフの方々の見守られるように執り行われ、温かな哀しみに包まれているような空間で私は安らげる空気として、父の死を含めて受けとめることができました。
最後を迎えた場所は、父と出会える場所のひとつです。遠方に住む姉は、両親の遺影をかざり時折思い出していると語っていました。遺品も含めてそれぞれの形で今もなお、死者との接点を持っています。
これからも大切な記憶として持ち続けたいと思います。
今日のまとめ
- 死者との関係性とは、死者への思いの深さがどれほどあるか、関係性に左右される
- 葬祭の形、供養の形式の時代の変化は、今後の自分自身の課題となる
- 過去の記憶は、生者の脳に存在し、日常にも影響を受ける形でつながっている
お知らせ
先日、介護職のサポートサイトに「Pure Medical attitude」のブログをご紹介戴けました。こちらのブログで紹介ブログをUP致しました。介護される方のストレス解消法です。よろしければ、「きらッコノート」もぜひお読みください。
Pure Medical attitude 過去のブログ
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関連資料
- 東北大学総長特命教授 鈴木 岩弓教授「死者と生者の接点」(死生学入門)
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代表 かたよし純子 Junchan♪ ※自己紹介はこちらから
臨床検査技師/超音波検査士/健康管理士一般指導員/健康管理能力検定1級
米国NLP協会認定NLPトレーナー
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